プロレスリング ノア所属


1992年新日本プロレス東京ドーム大会に誠心会館の門下生と徒党を組んで乗り込み、新日プロに宣戦布告。
その後長州力に認められ新日プロに参戦。
2000年10月にプロレスリング・ノアから声がかかり、青柳とともに参戦。
2009年6月13日、広島県立総合体育館グリーンアリーナ(小アリーナ)で行われたGHCタッグ王座選手権試合で王者として試合中、挑戦者の三沢光晴に急角度バックドロップをした際に、三沢が意識不明・心肺停止状態に陥って死亡するリング禍が発生した。
「どんな重い十字架でも背負う。リングに上がり続けることが社長への恩返し」として現役続行を決意した。三沢の親しい友人から手紙を受け取り、「きっとお前は俺のことを信頼して、全力で技をかけてくれたのだと思う」「それに俺は応えることができず信頼を裏切る形になった。本当に申し訳ない」「それでも、お前にはプロレスを続けてほしい」と最後の試合相手が罪の意識に苛まれることを予見した内容で「お前が俺の最後の対戦相手になった『意味』みたいなものは、自分で考えていってほしい」という言葉で締め括られていた。それを考え続けてきた齋藤は、不運にも事故の加害者になってしまった自身と同じ苦しみを味わっている人のため「もう一度立ち上がって頑張る姿を見せていきたい」と話している。

弊社が齋藤選手を選んだ理由

建築リフォーム業とプロレス。
道は違えど「お互いを応援できる良質な関係をさらに築きたい」。
齊藤さんの人柄や生き方を理解し合い、
永く弊社のキャラクターを努めていただきたいと弊社スタッフ全員が思っています。